横浜ソーワクリニックの前身となった新横浜病院は、故会長が大叔父から旧サマリタン病院の事業を受け継ぎ横浜での事業を始める第一歩となった病院でした。当時としては先進的な病院併設の健診センターを立ち上げるなど、故会長のひとかたない苦労の積み重ねで築き上げてまいりました。初代院長に福島先生を迎え、その後、松田先生に代わり多大なるご尽力によって全国でも有数の健診センターとなりました。当初100床だった病床数は半減しましたが、長きにわたり病院併設の健診センターとして、地域医療と健診の両立で当会の運営を支えてきました。諸事情により病床は返納しましたが、その後、健診センターには竹原先生が加わり、診療のみならず多くの医療技術者の育成にご尽力いただきました。
松田先生と竹原先生のお二人で日本総合健診医学会を主催され、法人の存在感を大いに広めていただきました。お二人の功績は健診センターはもとより法人にとってもかけがえのない財産となりました。
相模原の産業健診センターを充実させるため、松田先生に院長を務めていただくことになりました。新横浜病院は、新横浜ソーワクリニックに改名し、別府先生が院長に就任されました。別府先生には当初から慣れない業務をお願いし、たいへんなご苦労をかけましたが、職員を牽引していただき改めてお礼申し上げます。現副理事長の高橋先生にも副院長就任をお願いしました。当時バリバリの外科医であった髙橋先生には半ば無理矢理にも近いお願いでしたが、決断いただいたことに今もって感謝が尽きません。
2008年の みなとみらいメディカルスクエア 立ち上げ時から横浜地区の事業協力も始まりました。毎年行われる横浜地区のイベントに顔を出しておりますが、いつも家族的な雰囲気を味わいながら楽しんでおります。そして、2013年の横浜駅への移転リニューアルを経て、さらなる健診事業の充実と万全な運営で法人を支えていることに深謝すると同時に今後のますますの繁栄に期待します。
今、医療業界はかつてないほど厳しい時を迎えています。特に病院は大きな変化の時代に入りました。日本中の病院がこれに対応していかなくてはなりません。病院はそれぞれの進むべき道に向けて大きく転換することを余儀無くされるため試練も多く、これを乗り越えて行くためにも健診事業がさらに重要になってきます。今後も法人を挙げて健診事業をさらに盛り上げていきたいと考えます。
人口の高齢化に伴って、高血圧・糖尿病・がんなど生活習慣病に注意が向けられ、健診への期待はこれからもますます高まるに違いない。一方では、受診者それぞれに生活様式が異なり、ヘルスリテラシーや価値観にも大きな開きがあることを考えると、さらにきめ細かな対応が求められるであろう。データを電子情報として提供するサービスは既に始まっているが、それに関連する情報サイトやお薦め商品が提示されたり、遺伝子多型などの条件も組み入れた、複雑で詳細な検査データを提供するより高額なサービスも現れる可能性がある。
氾濫する健康情報の中から何を信じ、何を疑うか、利用者の視点に立って改善を常に心掛けることがこれからの健診サービスには求められているのではないだろうか。
横浜総合健診センターは1972年7月に創立され、本年50周年を迎えました。この場を借りて、当センターを信頼し受診してくださった皆様や、その信頼に応えるべく尽力した職員の方々に心より御礼申し上げます。
現在では1500を超える施設で人間ドック健診が行われていますが、開設された50年前に人間ドック健診(当初は自動化健診、後に総合健診)を行う施設は全国に数えるほどしかありませんでした。なお、1972年は高速交通網の整備など日本列島改造論で有名な第一次田中角栄内閣が誕生した年で、当時最先端のオープンリール型磁気テープ装置に隔世の感がありますが、検査室の配置や内装はあたかも現在を見ている様なセンスの良さが感じられ、その後の健康志向をいち早く見越して事業を起こした方々の先見の明を改めて感じています。
創立50周年を機に、さらに受診者の皆様の安心・安全を最優先に精度の高い健診を心掛け、先人の方々に恥じない施設を築き上げていきたいという思いを強くしています。
今後とも、どうかよろしくお願い申し上げます。